紅い雪

貴方はきっと僕を許さないだろう・・・・・・。
だからここに早く来て ―――― 2人だけが知っているこの場所で、僕はずっと待っているよ ―――― 。



しん・・・と静まりかえった暗い部屋。
僕の吐息だけが響き渡るこの中で、掌はあの人が愛する者で鮮やかな色に染まっている。
あとからあとから流れ出すそれをペロリと舐めると僕の口の周りも紅く染まる。 ・・・鉄の味がしてあまり美味しいとは言えないな。 
・・・なあ、京子、半分彼のDNAが混ざっているその血・・・僕が貰ってもいいだろう・・・・・・?



逃亡犯・・・それが最近僕に付いたレッテルだった。
あの日からもう8日も経っているというのに日本の警察は何て無能なんだろう。
そう思って少しだけ笑った。 まあ、そんなのに捕まる程僕だって馬鹿じゃないけれど。
それにしてもここは今何度なのだろうか。 風と雪が耳朶を凍らせてしまうんじゃないかと思えるくらいの極寒の地で僕は彼をひたすら待っている。
見えるのは一面白銀の光景と下の方で岩にぶつかり激しく打っている高波の音だけ。
何て完璧なシチュエーションなんだろう・・・。
あの人はきっと僕がここにいるのを知っている筈・・・そして必ず来るという確信もある。
・・・・・・何故ってここは―――。



「雅人くん・・・。」
名前を呼ばれて海を眺めていた頭を彼の方へ回転させた。
この前見た時よりもやつれてコートもよれよれだ。 おまけに髪の毛は強風でバサバサ。 ・・・僕の所為だね。
「やっと来てくれた・・・。」
彼の姿に微笑んで立ち上がり、ダウンジャケットに降り積もった雪を振り払って側へ近寄った。
「・・・やっぱり君がやったのか・・・?」
「他に誰がいるの?」
凄い形相でいるのかと思ったら彼は悲しみと哀れみと焦燥感を持った瞳を僕に向けている。
「・・・何故そんな事を・・・。」
「何故? 貴方がそんな事訊くなんておかしいよ、解ってるくせに。」
僕の言葉に一瞬目を見張り、そしてわなわなと怒りで震え出した。
・・・その顔素敵だよ・・・僕だけを見つめる憎悪の眼差し。
「君は・・・君は京子を愛していたんじゃなかったのか?」
「僕が京子を? 冗談でしょう?」
「それじゃあ・・・どうして結婚なんかしたんだ・・・?」
フッとおかしくて笑いがこみ上げてくる。 解ってないのだろうか?
「貴方の娘だったからに決まってるじゃない。 本当は貴方の愛情を一身に受けてそれを当たり前の様に振る舞っているあいつが憎くて憎くて堪らなかった・・・。」
貴方は決して僕を1番にはしてくれない、いつだって京子を映す瞳の端っこで僕がいるのを確認するだけ・・・。
彼は頭を抱えてその場に座り込み、苦悩が滲み出た言葉を発する。
「だったら・・・離婚でも何でもすれば良かったじゃないか・・・。」
「そうしたら貴方との繋がりがなくなってしまうじゃない、ねぇ、お義父さん。」
「お義父さん」と呼ばれた彼は手袋をはめた手で、積もってからまだ誰も触れていない雪を拳で思いっきり殴っていた。 バスッバスッと何とも手応えの無い音がする。
「ちくしょうー!!」
僕の口からはその光景がとても嬉しくて笑みがこぼれる。 今度こそ片隅じゃなく真正面から僕を見てくれる。
雪を殴り飽きたのか、彼は目の前に立つ僕にすがりついた。
「何故だ? 君とはあの時1回きりだった筈だ。」
「・・・・・・そうだね・・・・・・。 あの日貴方、ボロボロだったよね・・・。 僕がいなければここで自殺してたもの。」
「雅人くん・・・。」
2年半前の夏、彼は最愛の奥さんを亡くして精神的にも肉体的にも限界に達していたらしく、この崖から飛び降りようとしたところをたまたま通りかかった僕が助けた。
それが彼との初めての出会い・・・・・・。

「―― 助けてくれ・・・。」

僕はその言葉に乗り、そして彼は奥さんの変わりに男の僕をたった1度だけ抱いたのだ。

「君が京子の恋人として現れた時・・・偶然だと思っていた・・・それは間違いだったのか?」
僕はくすっと笑った。
足下に積もっている雪はもうそろそろ止みそうな気配を漂わせて2人の間をちらちら舞い落ちる。
「本当にそんな偶然があると思っていたの? そんな訳ないじゃない。 貴方だって解っていたでしょう? 僕を見る目はいつでも恐怖に怯えていたものね。」
―― あの日、僕は彼がシャワーを浴びている隙に名刺を抜き取り、何度も会社の前まで行った。 
そうしているうちに年頃の娘がいると知って彼女に近づき、抱いた。 彼との関わりをなんとかして持っていたかったから――。
可哀想な京子・・・。 奥さんが亡くなってから彼の寵愛を独り占めしていた僕の妻だった哀れな女。 最期まで愛する事は決してなかったけれど、それでも僕を信じきっていた。
そう、あの瞬間も彼女は僕に殺されたとは知らずに逝っただろう。

「何故だ? 何故?」

彼の繰り返される言葉が何度も何度も真っ白な世界に呑み込まれては消えていく。
その声・・・ずっと聴いていたいな・・・。
「雅人くん・・・答えてくれ・・・私の所為なのか? だったら私を殺せば良かったんじゃないのか!?」
泣きながら僕のダウンジャケットを捕まえて饒舌になる貴方はちっとも理解してないね。
「貴方が死んだらもう僕を見てはくれないじゃない。」
僕は彼と同じ目線になる様に膝を立てて中腰になり、そして彼の唇にキスをした。 紫色になったそれは生きているとは思えないくらいに冷たい。
「僕は貴方が好きだよ、お義父さん・・・。 抱かれたあの時から僕は貴方しか見てない。 なのに貴方の目には京子しか映っていなかった・・・・・・ねぇ、お義父さん、僕が憎い? もっと憎んでもいいよ。 だってそうすれば僕を見てくれるよね?」
・・・・・・やっと言えた・・・・・・。
ずっと言いたくて、それでも理性が押しとどめていた告白。 あとは貴方が僕を ・・・・・・・・・・・・ してくれればもう思い残す事はない。
「そんな理由で京子を・・・?」
「そうだよ。」
「君は・・・・・・狂っている・・・・・・。」 
「かもね・・・。」
貴方を愛した時から僕の歯車はきっと狂い始めていたに違いないけれど、もう何も知らなかった自分になんか戻れないし戻りたくもない。
僕は彼を抱きしめながらそっとコートから折りたたんであるそれを取り出した。
「ねぇ、これで僕を刺すつもりなんでしょう?」
「・・・・・・っ!!」
寒さの所為でもともとあまり良くなかった顔色が更に青くなり狼狽しているのが一目で解る。
「だと思ってた。 いいよ、僕を貴方の手で殺して。」
「ま・・・雅人くん・・・君は・・・そのつもりで・・・?」
「・・・・・・。」
僕は答えなかった。 そんな解りきった事を言っても仕方ないじゃない。
これでも僕なりに色々考えた結果なんだけどね。
僕を京子以上に愛してはくれないのならば、この世で1番憎まれたかった。
「愛」以上に「憎しみ」の想いは強い。 
そして最後にその手で僕の命を奪ってくれれば最高だ。
そうすれば貴方は僕を一生忘れない・・・「僕」という呪縛からは死ぬまで解かれる事はないのだから・・・。 
「そんな細いナイフだったら何度も刺さないと死なないね。 あ、でも崖から突き落とすなんてフェイントは止めてよね、貴方の顔を見ながら死ねないからさ。」
「・・・・・・私を殺してくれ・・・・・・。」
「それは出来ない相談だ。 貴方は死んじゃダメだよ。 ・・・僕を恨んで憎みながらその手で殺した命を想い続けて生き抜いて貰うのだからね。」
「お願いだ・・・私を殺して・・・・・・。」
僕は微笑んで耳元で囁く。
「そんな勇気、全然ないくせに。」
だったらとっくに、あの日僕が止めようともここから飛び降りた筈だもの。
貴方のその口先だけのところ、僕だけに見せてくれた情けない姿・・・・・・みんな愛してるよ・・・そう、京子だけを愛していた貴方も僕は結構嫌いではなかったんだ。
でももういいだろう? そろそろ僕を見てよ、その胸に僕だけを刻んで欲しいな。
「―― キスして、お義父さん。」
「ま・・・さと・・・。」
ギリギリの線まで来ていた僕達はそれから貪る様にお互いの唇を求め合った。 寒さなんて感じない。 彼と僕の息で顔の周りは真っ白だし唾液でとても暖かい。
ずっとこうして欲しかった・・・。 そこに愛なんか存在していなくても僕は貴方にもう1度抱いて欲しかったんだ。
「―― はぁっ・・・・・・お・・・とう・・・さん・・・」
着ていたダウンジャケットを脱ぎ捨て、周りと同じ色のセーター姿になる。
だってダウンなんか着ていたらちゃんと刺せないじゃない。 それに白い方がきっと綺麗だよ。
「雅人っ! まさ・・・っ」
哀れみと憎しみの籠もったその声が僕の中心を突き動かす。
ゾクゾクするよ、貴方が触れると凄く感じる。 京子と抱き合ってもこんなに胸の奥がチリチリした事なんか1度だってなかった。
冷たい指が首筋を這おうとしたから僕はそれをそっと外す。
「ダメだよ、首なんか締めたら後で大変じゃないか。 知らないの? 僕は貴方の前でそんな汚い死に方したくない。」
「・・・・・・。」
「折角持ってきたんだからさ、これ使いなよ。」
さっきポケットから取り出したナイフを彼の手にぎゅっと握らせた。
「・・・私には・・・出来ない・・・。」
貴方は何て意気地なしなんだろうね。 僕はあんなに簡単に妻を殺せたのに・・・。
「じゃあ、殺したくなる事言ってあげる。 京子を刺す前まであいつ、僕とどうしてたと思う?」
「・・・・・・?」
「セックスしてたんだ。 ケツに突っ込むとさ、あいつよがってひぃひぃ啼くんだよ。 知らなかったでしょう? 自分の娘がノーマルセックスじゃ満足出来ないって事。」
「・・・・・・めろ・・・・・・。」
「僕と同じ穴の狢(むじな)ってやつだよね。 僕も貴方のペニスをアナルに入れて貰った時が最高のセックスだったよ。」
「止めろー!!」
絶叫が木霊する前に雪で吸収されて、僕だけにその声が聞こえる。
「それから僕が達する前に京子ってば気持ちよすぎて失神しちゃったの。 結構上手いんだよ、僕。 それからベッドの下に隠してた出刃包丁で喉をかっ切ったんだ。 だからあいつはきっと苦しまずに死ねた筈だよ。」
「雅人っ! ――― 貴様っ。」
「京子の血、貰ったよ。 あまり美味しくなかったけれど貴方の血が入ってるんだものね、頑張って飲んだんだ。」
「殺してやる・・・・・・」
ああ、もうすぐ貴方は僕をその手で引き裂くんだね・・・。 何て甘い誘惑なんだろう。 貴方を愛しているから殺して欲しい・・・・・・。
「ねぇ、それじゃあ、これは知ってる? 僕も部屋を家捜ししてて見つけたんだけどさ、あいつ前に何本かアダルトビデオに出てたんだ。 凄かったよ、SMなんて序の口で放尿、スカトロ何でもござれ。 あ、あそこにキュウリとか突っ込んでたのもあったっけな。 貴方の前じゃ清純な娘でも一歩外に出れば・・・」
僕は最後まで言う事が出来なかった。 何故ならば僕の腹にナイフが突き刺されていたから ――― 。
じわじわと白いセーターから紅(べに)色をした液体が滲んでくる。
彼はそれにハッとした様に我に返った。
「ま・・・さと・・・・・・あ・・・私は・・・私は・・・」
「ダメじゃない・・・これじゃ死ねないよ・・・。 もう1度・・・今度はちゃんと胸を狙って刺してよ・・・。」
ガクガクと恐怖に戦(おのの)いている哀れな貴方。 けれど、ほら見て。 
やっぱり白いセーターにして良かった。 凄く綺麗じゃない?
身体の外側にも血が流れていくとまるで僕も雪の一部に溶け合ってしまったみたいだ。
貴方はこの光景が目に焼き付いて決して忘れる事はないだろう。
それこそ僕が望んだ事。 僕を想って一生生きながらえればいい。
モノクロの世界に唯一真っ赤に染まった僕の身体と貴方の手。
2人を繋ぐ紅い色・・・・・・。 ねぇ、寒い筈なのにどうしてだか僕はとても暖かい。 きっと貴方の腕の中で死んでいけるからだね。
僕はナイフを持った彼の手を自分の手で覆った。
「な・・・何を・・・。」
「貴方はやっぱりチキンだね・・・。 そんなところも愛してるよ、お義父さん。 だから僕が手伝ってあげる。」
「よせっ! 雅人、止めろ!」
そして僕は畏怖で力のない彼の手と自分の手を重ねたナイフをゆっくりと胸に押し込んだ。
「雅人 ―― !!」
最期に聴いたのは僕の名前を叫ぶ彼の声。
僕は世界で1番幸せだ・・・・・・。 きっと貴方は京子を想うより僕を想う時間の方が長いに違いないから・・・・・・。
どんなに愛しても愛してくれなかった貴方の心をたった今手に入れた。

――― これで貴方は永遠に僕のもの ――― 。

終  

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「サスペンス」というキリリクからは程遠くなってしまった気もします・・・(反省)
でも実はダークで救いのない話って好きだったりするのです。 あまり書くことはないですが。 
自分的テーマとしては「狂気」ですね。 「狂気の中に宿る愛」 たまにはこんなのどうですか?え? ダメ? 
最後にリクエストしてくれたそのっぴ様、イメージ丸崩れだったらごめんなさーい。
一応ご注文の品は入れてみたのですが・・・「崖」「雪」おまけで「告白」・・・。