「じゃ・・・延照入るか・・・？」
そう言われて俯いたまま「うん・・・・・・」と答えると、亮はフロントで受け取ったカードキーを扉に差し込んだ。
ガチャっと鍵の開く音が廊下に響いて、僕はどこかの部屋から誰かが出て来るんじゃないかと思い、ますます頭（こうべ）を垂れてしまう。
「そんなに下向いてると転ぶぞ」
声だけで笑っている事が推測される亮は僕の後ろに立ち、僕の持っているそれよりひとまわり大きいスーツケースの角をワザとぶつける様にして中へと僕を促す。
「わ・・・解ってるよっ」
解ってるけど・・・僕はこんな所に来たの初めてで・・・緊張しているんだ。
「早く入らないと誰かが来ちまう」
業を煮やした亮の手が僕の横から伸びてきてドアをキイッと開けた。
・・・亮は何回も女の子とこういう所に来た事あって慣れてるだろうけど・・・ちょっとムッ。
別に今浮気されてるとかじゃないのにヤキモチ妬くなんて我ながら心が狭いと思うけどさ。
「延照も早く入れよ」
そう言われておずおずと入っていった部屋の中は ―――― 。

―――― 何これ ―――― ？

ビジネスホテルなんかとは全然違うその部屋は、思ったより広くて・・・ベッドが大きくて・・・極めつけはバスルームが部屋から丸見えになっている。
・・・・・・どうしよう・・・・・・さっきより更に緊張が増してきて、ドクンドクンと心臓の音が聴こえる。
僕みたいな人間は一生行く事がないんじゃないかと思い込んでいた恋人同士の為に作られた特別な空間。
見渡しながら、僕達がどうしてこんな場所にいるのか、さっきまでの２人のやりとりを頭の中で思い出していた ―――― 。




「俺さ、家族にも帰るの明日って言ってあるんだ」
「そうなの？」
僕が「おかえりなさい」って言えてから暫く２人で色んな事を語り合ってる最中、亮がふいにそんな事を言い出した。
「家族にまでそんな嘘付いて・・・」と言った僕は亮の思惑に気付いていなくて、がっくり肩を落とされた。
「食い付くのはそこじゃないだろう？」
「何が？」
苦笑いをしながら僕の耳元に口を寄せ。
「今日は２人でどっか泊まろう」
と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・え？　え？　えー！？」
泊まるって・・・泊まるってそういう意味だよね？
思いがけない亮の言葉に僕はたちまち耳から紅くなり、亮に「延照はこうでなくちゃな」って理不尽な気がしないでもない事を言われた。
「それならいいだろ？」
亮の問いに、まだ火照りが残る顔で頷き・・・・・・キスで返事をした。


生まれてきてから今まで父さんや母さんに１回も嘘を付いた事がない、何て事は決してないけれど。

「さっき電話して今日は亮の家に泊まりに行く事になったから・・・・・・」
「まあ、亮くんのご家族にご迷惑じゃないの？　折角の水入らずを邪魔しに行くなんて・・・」
「全然大丈夫ッスよ。　ウチの親も延照と久しぶりに逢えるって喜んでいたし」
「そう・・・？　悪いわねぇ・・・延照、失礼のない様にね」
「もう、子供じゃないんだから大丈夫だよ」

こんな大それた嘘を付いたのは生まれて初めてで・・・・・・罪悪感が肩に重くのしかかると同時に妙な高揚感に包まれているのに気付く。
女の子が親に内緒で恋人と旅行する時ってこんな気分なのかな。
「これで俺達共犯者だな」
「共犯者・・・・・・」
口に出すと何て甘い響きなんだろう。
亮と僕は共犯者。
そしてこれから両親には口が裂けても言えない様な事をするんだ・・・・・。
ごめん母さん、いつか必ずちゃんと伝えるから・・・今はまだ２人だけの秘密にさせて欲しい。




家を出て亮の大きなスーツケースを引きずりながらホテルを探すこと１時間。
金曜日って事もあり、何件もビジネスホテルを廻ったのにもかかわらず空いてる部屋が全くなくて段々足が重くなる。
「どうしよう・・・亮・・・もうビジネスホテルないよ」
自分が情けなくなってきて、つい弱音を吐いてしまった。
最後に断られたホテルの前で亮は暫くスーツケースに座って考え込んでいた顔を僕に向け、ある建物を指して、そして言った。
「あそこ行くか・・・？」
「え・・・何処？」
亮の人差し指の先から直線にある、他のビルより何だかちょっと派手めの看板が目に付く建物。
「亮・・・あれって・・・もしかして・・・・・・」
「そ、ラブホテル」
「ラ・・・ラ・・・ラブホテルーッ！？」
思わず声が大きくなり、慌てて口を手で押さえた。
ラブホテルってラブホテルって・・・っ！！
そりゃあ僕だって興味がない訳じゃないし、どんな風になってるかなんて雑誌でしか見た事ないから気になるけど・・・その前に僕たちは男同士で入れるの？
そんないかにも今からします、って所、亮は恥ずかしくないの？
僕の心臓はそう言われただけでバクバクして、２人でホテルに入る事を想像しただけで顔が火照ってきた。
「言っただけで紅くなるなんて、延照可愛すぎ」
そんな僕を尻目に歯を出して笑う亮。
「だって・・・そんなトコ・・・」
「別に悪い事する訳じゃないんだぜ？　俺達恋人同士なんだから堂々としてりゃあいいんだよ」
言ったかと思ったらもうホテルに向かって歩き出した。
「待ってよ・・・亮・・・っ！！」



ガラス張りのバスルームを無意識に凝視していた僕の耳の後ろで低く甘い声が囁いた。
「延照のスケベ」
「！！！」
「そんなに俺がシャワー浴びてる所が見たいのか〜そうかそうか」
「違うよっ。　ただ何でこんな作りになってるのかって思っただけで・・・」
慌てて否定する僕の背後からスッと両腕が伸びてきた。
「思いっきり否定すんなよな、俺だって傷付くぞ」
「あ・・・・・・ごめ・・・・・・んっ」
伸びてきた腕が交差して僕の肩を抱き、顔が重なった。
―――― これは何だろう・・・・・・さっき家でキスした時より胸がざわざわして・・・・・・。
「ふ・・・・・・んん・・・んっ」
誰にも邪魔されない静かな部屋に深い口づけの音だけが響いて・・・・・・興奮している。
息が苦しいのはきっと呼吸する余裕がないだけじゃなく、これから始まる２人に目眩がしているからだ。
今までこんな風になっちゃう自分を想像も出来なかった。
亮、君の所為だよ、だから。

責任取って。

唇を離して改めて見る亮の瞳は熱っぽく、優しく ―――― そしてとてもやらしい。
きっと僕も同じ顔してるね。　何だかとても恥ずかしいのにそれが嬉しい。

亮は頭をポリポリ掻いて照れた様に
「あー・・・シャワーでも浴びてくっか」
と言ってバスルームへ行こうとしたその腕を、掴んだ。
「どした？　延照も入るだろ？　それとも順番に入るか？」
「あ・・・・・・違うんだ・・・その・・・・・・」
「ん？」
手を掴んだの、そんな理由じゃない・・・・・・僕は亮の顔を恥ずかしさのあまり正視出来ず、視線を足下に動かして小さくなった声で言った。
「・・・・・・そのままでいい・・・・・・」
「え・・・」
「そのままの亮と・・・・・・したい」
どうしよう・・・顔から火が出そうだ・・・。
「・・・俺、飛行場から直でお前んち行ったからロンドンからずっと風呂に入ってないぞ？」
「それでいい・・・」
だってその方が亮の匂いに包まれて安心出来る。　僕は亮のタバコと日向（ひなた）の匂いが大好きで、汗にさえ・・・感じてしまうんだ。
僕はおかしいのかな・・・。
亮はぽかんと口を開けたまま。
「あ・・・亮がイヤなら気にしないで・・・ゴメン」
そうだよ、自分の要求ばっかり押しつけたりして我が儘だって思われるじゃないか。
僕だって１日入ってないんだからそんなの普通イヤだよね・・・・・・。

「延照っ」
「りょ・・・」
いきなり抱きしめられて今度はこっちが驚く番だった。
「馬鹿だなぁ・・・俺がずっとガマンしてたのに・・・そんな事言われたらもう止まんねーぞ」
「い・・・いいの・・・？」
「いいも何も・・・・・・」
言い終わらない内に亮は僕の首筋を強く吸い、そして噛んだ。
「―――― っ」
それだけで息が上がって思わず亮の頭を抱え込むと、日に焼けた腕が僕のシャツに入り込んで肌を撫でる。
「あ・・・りょ・・・・・・」

１年前にロンドンの亮が住む部屋で抱き合って、たった１回だけ繋がった僕達。
想いを告げたのも、初めて唇を重ねたのも同じ場所・・・何もかもが僕にとっては初めての経験ばかりで、怖くて、嬉しくて、痛くて、そして愛しくて堪らなかった。
今はあの時よりもっと愛しい・・・怖いと言う感情もほんの少し残っているし、あの痛みも覚えてるけれど、亮が欲しい。

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