水面の下の永遠 
No.5

それから、僕らは壁に並んで座りこんでいた。
もう、20分位そうしている気がする。
先に口を開いたのは僕だった。
「もう・・・戻れないのかな?」
「お前、何言ってんの? 注射針の痕を見ただろ?」
「そんなもの何とかなるよっ。」
僕は気休めを言った。
もう、何百人と中毒者を見てきた・・・噤がどんな状態か僕にも解ってるつもりだ。
噤の身体は痩せて・・・最初に見たときの頽廃の匂いがしたのは薬物の所為だったのだ。
「それはお前が麻薬をやったことが無いからだよ。」
「どうして・・・麻薬なんて・・・。」
僕はそれが知りたい・・・いくら売春をしてたと言ったって男同士じゃ禁止法が適用されるはずもなく、薬物に手を染める方が何十倍も罪が重い。
それなのに・・・どうしてわざわざそんな道を選んだんだ。
「身体を売るのはさ・・・とっても簡単だったよ。 まるで今まで倒れる程働いていた母親が馬鹿に見えて来るほど・・・だって母親の月給の半分を一日で稼げるんだぜ。」
やりきれなかった。
僕の家だってお金が無くてかなり苦しい生活をしていたけれど、噤の家はそんなの比較にならないほど切迫してたに違いない。
「最初は客の1人がヒロポンを勧めてきて・・・「楽になるから」って。 流行ってただろ? それから止められなくなって・・・その後にヘロインやって、それからコカインに手を出した。」
何てことだ。
典型的な中毒者の転がり方じゃないか。
僕はヒロポンを噤に勧めた奴が心底憎い。殺してやりたい。
「もうどうでも良かった・・・ここから抜けだしたかった・・・。」
「・・・死にたかった・・・。」
その言葉が僕の心臓にズンと突き刺さる。
弱い弱い噤と、意気地の無い僕・・・。
どうすればいい?
どうしたらお前を救う事が出来る?
今のお前に僕は何をしてやれるのだろう・・・?



「監視ごくろうさまです、あ、これ差し入れのコーヒー、良かったら飲んでくれますか?」
あれから一週間たったある夜、僕は決心をして噤のいる独房の監視室に入っていた。
「ああ。 ここは冷えるからねぇ、ありがたく頂くよ。」
そう言って気の良い彼はコーヒーを口に含んだ。
「いつも1人で寂しくないですか?」
「まあね、こう陰気臭くちゃあ、こっちの気分まで滅入ってきちまうよ。」
そう愚痴をこぼしながら美味しそうに飲んでいる。
「あはは、僕でよければこれからもちょくちょく来てもいいですか?」
「おお、そうしてくれると俺も気分転換になって嬉しいよ。あ、コーヒー付きでな。」
「そうですね。」
くすっと笑って僕は彼の表情を伺う。
しばらくそんな談笑をしながら、ゆっくりと時間がたつのを待っていた。

「寝ちゃったんですか?」
僕は彼に声を掛ける。
もう、すっかりいびきをかいて起きそうにない。
少し胸が痛んだ。
明日になれば彼には何かしらの罰が下されるだろう・・・。
それが少しでも軽減されるように願って、僕は余っている睡眠薬を彼の側にそっと置いた。
本当にすいません・・・貴方には何の落ち度もないんです・・・。
そう心の中でつぶやいて、そこにある戸棚の抽出を開けて、鍵を取り出した。


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