水面の下の永遠
No.6
扉の前で僕は思いっきり深呼吸をした。
これを開ければもう、後には引けない。
これで本当にいいのか?
噤を救う事になるのか?
そんな思いが自分の中に無いわけではなかったけれど、僕にはこれ以外の方法が浮かばない。
あの頃はただ一緒にいられればそれで良かった・・・。
今となっては遠い昔の情景が目の奥にくっきりと映り込んでくる。
懐かしいバラックの家や、優しく、厳しかった両親・・・。
バイタリティーに溢れていたあの時代は、狭い自分の周りだけが世界の全てだった。
あんなに憎んでいたアメリカに日本人は憧れるようになった。
そういえばまだ小さかった僕らは、アメリカ兵のばらまいたチョコレートをむさぼるように取り合っていたっけ。
疎開先での生活だって、親が心配だった事を除けば友達と一緒だったし、それなりに楽しかった。
畑を耕したのなんて、あれが最初で最後だ。
これから僕がしようとしてることは両親はもちろん、色んな人に迷惑を掛けてしまうことになるだろう。
僕を一人前の刑事に育ててくれた警部や先輩達・・・彼らはどうなってしまうのだろうか?
彼らを思うと、少しだけ揺るぎそうになる思いを取り払って、僕は数本ある鍵のうち一本を取りだして目の前の重い扉を開いた。
「噤・・・・・・。」
暗い部屋の中に向かって声を掛ける。
「・・・喬・・・?」
気力の無い声が返事をした。
「ああ。」
ようやく暗闇に目が慣れてくると、噤が部屋の隅でうずくまっているのが見えた。
それと同時に、手の甲から血が出ているのが解った。
「どうしたんだ? それ」
「禁断症状だよ。 我慢出来なくて壁に当たってた。」
力無く噤が笑っている。
その顔を見ると、この前より更に悪くなっていて、目の下にくっきりした隈が出ていた。
僕は血の滲んだその手を取り、
「僕にはこの痛みは解らないんだ・・・・・・ごめん。」
そう言って血を舐めた。
噤は一瞬ビクッとしだけれど、そのまま流れにまかせている。
丁寧に時間を掛けて全ての血が見えなくなるまで舐めて、それを飲み込みたかった。
愛しい・・・僕の噤・・・・・・。
「お前は気付いてなかったかもしれないけど・・・。」
「うん?」
ふいに噤が口を開いた。
「喬の事・・・ずっと想ってたんだぜ。」
ああ、今なら解るよ・・・いや、もしかしたらずっと解ってたのかもしれない・・・。
「だから許せなかった。」
僕は舐めるのを止めて顔を上げた。
噤の気持ちを考えると、切なくなってくる。
「・・・そうだな・・・。 噤がどんなに辛かったか考えもしなかったんだから・・・。」
「あの独房の中毒者だろ?」
「はい。」
自分の判断が間違っていないか専門の人間に確認してみた。
「ありゃあ、もう長くないね。 身体中薬物に犯されているよ。」
「そうですか・・・。」
やっぱり、という思いがした。
この時に僕は決心したのだ。
それだけ聞くと、僕は薬物検査室の部屋を後にした・・・・・・。
BACK← →NEXT
|