スーツケースとパブ NO.26

地下鉄の構内でキスしていた恋人達は公衆の面前で恥ずかしくないのか、とあの時の僕は理解不能だった。
なのに今、同じ・・・いやそれ以上の場所で亮と口吻を交わしている。
考えてみたら凄く恥ずかしい筈なのだけれど、どうしてだろう? 周りが見えないんだ。
まるで亮と僕の周りだけオブラートに包まれているような、そんな感じ。
きっとそんな僕らを驚いたり嘲笑している人だっているに違いない。
でも、もうそんなことどうでもいい・・・。
2人で乗りたかったロンドン・アイで夢のようなキスをしている。
僕の唇を優しく、激しく吸っている亮の唇に酔いしれたい。
今、どの辺だろう? さっき頂上だったからもう少しで地上に戻ってしまう。
夕日も落ちて夜景になったロンドンの街並みを見ることもせずにただひたすら亮の呼吸を感じている。
胸の奥の鼓動は治まることを知らずにボルテージが上がっているのが聞こえてくる。
亮はどうなんだろう? ねえ、ドキドキしてる?
僕のちっぽけな世界は亮でいっぱいだ。 自分がこんな大胆なことが出来る人間だとは思いもしなかった。
それは亮が引き出した「僕」。 もっと知らない僕を引き出して・・・亮の全てを受け入れる勇気を引きずり出して欲しい・・・。


ざわめきが聞こえて、気付くとドアが開いていてそこから人がぞろぞろと出ていた。
「・・・景色、全然見られなかった・・・。」
ぼそっとイヤミを言うと、亮はふふん、と鼻を鳴らせて
「でもキス出来た。」
と余裕綽々(しゃくしゃく)で僕に笑いかける。
「俺がしたかったのは延照と景色を見ることじゃなくてここでキスすることだったから満足満足。」
「何それ、ずるいよ。」
「前半は外見てただろ? これでフィフティフィフティってことになるじゃないか。」
「・・・・・・。」
納得いかないけど・・・けど・・・。
「ああ、俺ってお前に思ってた以上にメロメロだったんだなー。 やっぱ発情期の頃に我慢してると反動がすげーな。」
だからどうしてそんなこと平気な顔して言えるんだよ? 発情期って・・・。
僕が赤くなって俯いてるとそっと肩を抱かれた。
「日本に帰ったら外でこんなことしねーからさ、今夜だけは普通の恋人みたいにさせてくれよ・・・。」
「亮・・・。」
その言葉に感動したのか哀しくなったのか、何だか泣きたくなった。
もう、明日の今頃は飛行機の中なんだ。 あと1年亮と逢えないんだ・・・。
それはきっとこの1年間よりも更に辛いに違いない。
親にも友達にも誰にも言えない遠距離恋愛・・・幸せな筈なのに贅沢な不安が生まれて来る。
「いいよ、僕達ちゃんと恋人同士だもんね。 大好きだよ、亮。」
「延照・・・。」
ぎゅっと抱きしめてくれた。 友達同士のスキンシップじゃない抱擁に僕の腕の力も強くなる。
どうして何度も何度も「好き」って言ってるのに言い足りないんだろう?
言葉じゃ伝えられないほど好きなんだ。 何十回言っても僕は満足出来ない。
抱き合ってるのが男同士だと気付いた人達が通りすがりに驚いてる姿が見えたけれど、もうそんなのは気にならなくなっていた。
僕は恋人の背中に腕をまわしてるだけ、悪いことをしてるわけでもなければ後ろ指を指されることもしてない。
「・・・もっと・・・。」
「のぶて・・・」
すんなり出てきた欲求に亮が言葉を切って答えてくれる。 
その腕の強さが僕を陶酔させて、周りが見えなくなり、やがて2人だけになった。

「そりゃ2人の世界作っちゃってるんだから気になんないんだろ。」

地下鉄でキスしていたカップルを見てた僕に言った亮の一言が思い出される。
こういうことだったんだ・・・。 
お互いの体温を感じられてさえいれば周囲は関係ないんだね。
恥ずかしがっていた自分がバカみたい。 そんなつまらない理由で亮と抱き合えないなんて相手に対して失礼だ。 ごめんね・・・。
「ん・・・? 何?」
ふわっとした亮の囁きに僕の身体が熱くなっていく。
「ううん・・・亮は凄くあったかい・・・。」
「延照の方が湯たんぽみたいだぞ。」
そして僕らは見つめ合って再びキスをした。



「ほら、今度は酔っぱらって寝ちゃうなよな。」
「うん・・・ありがとう・・・。」
夜の9時を回った頃、僕達は亮の家の近くにあるパブに寄った。
そこはこの前行った所とは少し様子が違っていて、近所の人が集っていて常連客らしき人達が沢山いるような場所で気取ってなくて、騒がしいけれど落ち着けるアットホームなパブだった。
亮もそこの常連らしく、店の人とも冗談を言い合ってたりお客さんにも何人か話しかけられたりしていた。
英語は解らないけれど亮が僕のことを「恋人」って紹介してたのは何となく気付いた。 そんなことが凄く嬉しい。
言われた人達はちょっとびっくりしていたけれど、だからと言って嫌な目で見ることもなくすんなり受け入れていたのには逆にこっちがびっくりしちゃった。
笑って親指を立てながら僕にウィンクをしてきたおばさんがいたのには目を丸くするばかり。
「気の良い連中ばっかりだろ? ここは。」
「う・・・うん・・・。」
「俺、ここのパブが1番性に合ってるんだよなぁ。 だから延照も連れて来たかった。」
「でも・・・僕のこと・・・いいの?」
「何が?」
「だから・・・僕のこと恋人って・・・。」
「だって本当のことじゃないか。 そんなんで差別するような人間、ここにはいねーよ。」
「でも・・・。」
「まーったく心配性なんだな、延照は。 よし、んじゃ試してみるか?」
「え・・・?」
返事をするより早く亮がキスをしてきた。
「〜〜!!」
途端に店にいた人達が歓声を上げた。 ピーッとかヒューヒューとか・・・。
「なっ・・・なっ・・・」
「な、これで安心しただろ?」
「そういう問題じゃなーい!」
僕は真っ赤になって反論した。 こんなに人が沢山いる前でなんでキスするんだよっ!
「さっきはあんなに大胆なキスしたのにー。」
「だからあれはっ!」
・・・あれは・・・全然知らない人だらけだったから・・・いや、ここにいる人達も知らないけど・・・けど・・・けど・・・。
「亮なんて・・・亮なんて・・・」
「俺なんて・・・?」
ニヤニヤした意地悪亮が出てきた。 こうなったらもう何を言っても無駄だということは今までの経験からして良く解ってる。
「・・・・・・ばか・・・・・・。」
「俺は延照をみーんなに自慢してーんだもーん。」
笑いながら声を掛けてくる人達に手を挙げて答えている。
そりゃあ、僕だって亮を自慢したいけどさ・・・。
僕たちのキスをきっかけにその場がお祭り騒ぎになった。 亮は飲めない僕に気を遣いながらも周りの人達と楽しそうにしゃべっている。
誰かが僕の前にビールを差し出したときもさり気なくそのグラスを受け取って飲んだ。
ここにいる人達は余計な詮索はしない。 自然に僕を受け入れてくれて、気付くと英語が解らない筈なのにいつの間にか笑っていた。
お酒の所為もあるんだろうけれど、こんなに大勢の中で笑えるなんて久し振りだ。
高校の時も大学の飲み会でもいつも僕は隅の方で愛想笑いを浮かべているだけだったから・・・。
・・・そっか・・・亮は僕に楽しんで欲しかったんだ・・・。
「ありがとう・・・亮・・・。」
「ん・・・。」
ありがとうの意味が伝わったかどうか笑ってる横顔じゃ判断がつかないけど、それでもいい。
亮が僕の心を弾ませてくれる、楽しませてくれる、世界を広げてくれる。
大好き・・・大好き・・・。
「俺もだよ。」
「・・・何で・・・?」
「顔に俺が好きだって書いてある。」
「・・・・・・。」
そして額に軽くキスしてくれた。
「コッツウォルズの村を廻ってたときもずっと感じてた。 あんときもそう言えれば良かったのにな・・・。」
あ・・・と思った。 亮の後ろ姿を見ながら歩いてた時、心の中でずっと好きって言っていた。
あの時、亮の態度が少しおかしかったのはその所為だったんだ。
「・・・僕って解りやすい・・・?」
「だったらとっくに押し倒してるって言ったろ? 一昨日の夜、延照が俺にキスしようとしなかったらたぶんまだ悶々としてたかもな・・・。」
僕の一世一代の行動は無駄にはならなかったんだ。
「・・・良かった・・・。」
「俺の方こそ礼を言わなくちゃな。」
「そんなの・・・」
「俺の横でマスターベーションしてくれてありがとう。」
「!!!」
ムードぶち壊しっっ!
あははー、と笑う亮に僕は「えい!」と頭突きを食らわせた。
「延照〜! I love you〜!」
酔ってる。 ぜーったい酔ってる。
亮のばか〜!

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