なろうよ。

〜先生の視点・2〜

部活が終わってふーっと一息ついた。
あの西尾の絡みつくような視線がめちゃめちゃ痛くて、あんなにあからさまで誰も気付かないのが不思議なくらいだった。

俺の顔を見ながらずーっとニヤニヤしてるし、何かあるとぴったりと密着してくるしっ。
精神的に疲れた……。 
机に突っ伏してぐったりしているとドアが開いて
「カ〜ベちゃん」
と誰かが入ってきやがった。
「部活は終わっただろう? もう帰れ」
うんざりして手でしっしっと追い払おうとすると、耳元で
「つれないなぁ、昨日は愛を確かめあった仲なのに」
と囁かれて俺は飛び上がった。
「誰がそんなことしたんだよ!? 大体お前、美術部なんかに興味ないだろう?」
「あったり前じゃん、俺を良く知ってもらおうと思ってさ」
悪びれる様子もなく言う西尾はキョロキョロと物珍しそうに棚に並べてある油絵を眺めていた。
「何で俺なんだよー? ここは共学だぞ、可愛い女子がいっぱいいるじゃないか……」
「そうなんだよなぁ、俺もそれが不思議なんだよね」
はあぁぁ? 解んないのに何で告白するわけ? 最近の高校生の考えてることは理解できん!
「なあなあ、これってカベちゃんが描いたのか?」
キャンバスの1つをさして訊いてきた。
「ああ、まあな……」
「すげー上手いじゃん」
どこがだよ? それって二科展に出品して見事落選したもんなのに。
あ〜あ、やっぱ生徒からの告白待ってるような不純な人間には無理ってことか。
なのに西尾はやたらと感心して「へ〜」とか「ほ〜」とか言っている。
あ、ちょっとばかり嬉しいぞ。
こんな風に純粋に絵を見られたのなんて久し振りだ。
少しでも絵に携わった人間はこのテクニックがどうのとかこの筆遣いがどうのとか、そんなもんばっか見やがるからうんざりなんだよ。
もっとさあ、自由に俺は描きたいんだ。 子供の描く絵って無茶苦茶だけど敵わないなぁって思うのは何物にも縛られずに自由に描いてるからだと思う。
西尾はひとしきり油絵を見た後、重ねてあったパイプ椅子を1脚出してきて俺の横に座った。
「お前なあ……」
「まあまあ、いいじゃん。 可愛い生徒が先生を慕って来てるんだぜ」
「どこが可愛いんだか」
「ひでー」
そう言いながらも笑ってるその顔は横山の言った通り爽やかだ。
うーん、確かによく見ると鼻筋は通ってるし、目は切れ長だし、くやしいけど女の子にもてそうな顔してやがる。
きっと告白だって何度もされたに違いない。 あー、ムカつく。
「だってさ、こうでもしないとカベちゃん俺のことちゃんと見てくれないじゃん。 告るまで俺の名前さえ知らなかったみたいだし……」
うっ、痛いとこ突かれた。 そうなんだよ、教師のくせに人の名前覚えるの苦手なんだよなぁ。
「それは俺が悪かったよ。 でもな、西尾、もしお前と俺が付き合ったら俺がまずいんだよ。 解るだろう?」
うわっ、俺ってばこういう時だけ教師ヅラ? 我ながら卑怯なやつ。
「俺が言わなきゃいいんだろ? そんなことカベちゃんと付き合えるなら誰にも言うわけないじゃんか。 秘密の恋人ってやつ? うわーそそられるシチュエーション」
何でそこでうっとりするんだー! 全然俺の言いたいこと解ってないしっ。
おかしい、絶対こいつイッちゃってる。 いや、男に告白するくらいだから最初っからイッてもーただ。
「あ……あのな、お前が言わなくても何ていうか……雰囲気で解っちゃうだろ、そういうのって……」
「大丈夫だって。 だって誰も男同士で付き合ってるなんて思わないじゃん」
あ、それもそうか……ってちがーう!
いかんいかん。 思わずこいつのペースになるところだった。
ガチャリ。
「ああ、日下部先生いましたね」
げげっ。 今度は横山登場かよ!?
昨日は天使に見えたけど、牛丼屋での一件で今日は悪魔に見えるぞ。
「横山せんせー、日下部先生は今、俺と大事な話をしてるんスけど」
邪魔が入っていきなり不機嫌な顔になった西尾は横山を睨み付けてるし。
「ああ、ごめんね。 でもそんなに2人っきりで永い間籠もってると変に思われるよ」
この野郎、何てこと言うんだ! 今度焼き肉奢らせちゃるからな。
「はぁっ? 意味わかんねー」
もっと言ってやれ、西尾。 今だけお前の方を応援してやる。
「またまた、嘘ばっかり」
「何だと?」
ひ〜っ、何か火花が散ってるように見えるんですけどっ。
横山、お前のその笑顔の下の目が怖い。 西尾の睨みも怖い。
「お……おいっ。 止めてくれよ。 横山先生、ここはひとまず席を外してくれませんか?」
このまま西尾を追い出したら、そっちの方がやばい気がする。 
ふうっと息を吐いて横山は「しょうがないなぁ」と言って出て行った。
何で俺がこんなに気を遣わなきゃなんないんだ?
「やりー、ざまーみろっての」
などと俺の気持ちも知らないで西尾は勝ち誇ってるし。
「カベちゃんさー、横山に何かされた?」
ギクッ。 いきなりそんなこと言われたもんだから一瞬硬直しちゃったじゃないか。 
「何って……?」
「だからー、迫られたりだとかー」
何言ってるの? こいつ。 どうして知ってるの? こいつ。
「あるわけないだろう、ばかもん」
「でも横山のやつ、絶対にカベちゃんに気があるぜ、気を付けろよな」
お前が言うなっ、お前がっ!
その後も「あいつは危ない」とか言ってるし。
夕べの横山のあれこそ冗談か本気か解らない。 まさか……まさかだよな。 でもあのあっつーい眼差しは一体なんだったんだ?
横山に俺とセックスしてみようって言われたんだよな……おいおい、それこそ勘弁してくれー。
それだったらまだ若い西尾の方が……はっ! 何考えてるんだよ。
昨日からホモ漬けで頭がおかしくなりそう……。
それもこれも全部西尾が俺に告白なんかするからいけないんだ。
じろっと西尾を見るとこいつはニコニコと、さっき横山にメンチ切ったことなんかすっかり忘れたかのような笑顔で、
「これから毎日ここに来るからな」
と言って準備室から出て行った。
嘘だろう? ああ、これから学校行くのが憂鬱だ。 教師の登校拒否も増えてるって言うけど、まさかこんな理由で休みたがってる人間は俺くらいなもんだろうか……? 



あれから1週間、西尾は部活がある日もない日も本当に毎日せっせと放課後になると俺のところに来た。
まったくヒマなやつだ。 バイトとかしてないのか?
「なあなあ、だんたんその気になってきた?」
くっそー、毎日そんなこと言われてみろよ、ここ2年は彼女もなく右手が恋人だった俺がちょっとだけその気になってきても誰も責められないよな。
だって俺のこと好きだって言った初めての生徒なんだぜ、男だけどっ。
毎日話してると色々と西尾のことが解ってきて、片親だとか兄貴が1人いるだとか、初恋は小学3年のとき隣の席の美代ちゃんだとか、まあ、俺にはどうでもいいことなんだけどさ。
嬉しそうに話す西尾はたまに凄く幼く見える。 もしかして結構こいつは……。いや、まさかなぁ。
「何見てんの? ははーん、やっと付き合う気になったってわけか?」
ニーッと白い歯を見せて俺に迫ってくる。 おいおい。
「あのなぁ、いくらお前がそういうこと言っても無理だ」
「何でだよ?」
プゥっとほっぺたを膨らませて拗ねてみせる西尾についほだされそうになるけど、付き合うってのはつまり、見つかる危険を伴うわけだし、それになによりもも……。
「俺は男に欲情なんかしないんだよ!」
言ってやったぞ。 はっはー。 そうだ、西尾を見ても抱きたいとか思えない。どんなに好きとか言われてもそればっかりは仕方ないじゃないか。
これで諦めてくれるだろう、あ〜しんど。
西尾はしゅんと黙り込んで下を向いてしまった。 怒られて垂れ下がってる子犬の耳が見えてくるようだ。 ……ちょっと可哀想な気もするが、ま、時が経てば俺なんか好きになったのが一時の気の迷いだったってことに気付くさ。
「…………本当に…………?」
は?
「本当に俺に欲情してくれない?」
げげ、泣いてんのか、こいつ。 泣かれると俺は弱い。 最後に付き合った彼女と別れるときもさんざん泣きわめかれて非常に困ったのだ。
きっとこいつのことだから、暴れまくって準備室をめちゃくちゃにしかねない。お願いだからそれだけは止めてくれよな。
恐る恐る見ると西尾はそんなことをする様子もなく声を押し殺して泣いているだけだった。
意外な光景に俺はただ黙って見ているしかなかった。
俺が悪者? 罪悪感が押し寄せてくるのは何故なんだー!?



あれから更に一週間、西尾はぱったりと姿を見せなくなった。
部活も出てないみたいだし、美術の授業もさぼってる、しょうがないやつだ。
横山は顔を見せにくるけど、適当にあしらっている。 こいつは西尾が来なくなったと知ってか来る回数が増えた。
俺は本気で危険モードな気がして横山を遠ざけたい。
ああ、ブルータスお前もか、な心境だ。 何で2人とも俺に突っかかって来るんだよ?
そこら辺に女は転がってるじゃないか。
「これでいいんだよ」
呟いてみたけど、毎日美術準備室に入り浸って猛アタックをしていた西尾がいきなりいなくなるのは変な感じだ。
……寂しい……? んな馬鹿な。 嬉しいんだよ、俺は。
これでやっと平穏な毎日が送れるはずなのに……なのに……。
「あ〜! もうっ」
「どうしたの? カベちゃん」
あ、しまった、今は部活の真っ最中だった。
「スマンスマン。 ……なあ、小山内、あの新入部員はどうしたんだ?」
「西尾くん? うーん、最近出てきてないみたい。 どうしたんだろう」
まさか俺に振られて出てこなくなったとは言えない。
「結局ひやかしだったってことか。 どうしようもないな」
俺がそう言うと小山内はきっぱり否定した。
「そんなことないよ。 だってすっごく熱心だったし、楽しそうだったもん」
意外だった。 どうせおまけの部活だったから適当にやってるもんだとばっかり思っていた。
「そうそう、1番頑張ってたよね」
横から別の部員も小山内の意見に賛同する。 俺は西尾が部活に出ていてもあんまりそっちを見なかったからなぁ。
「カベちゃんが虐めたんじゃないの?」
「俺が? どういう意味だよ?」
「だって西尾くんにだけ冷たかったもんねー」
「ねー」
それから俺は部員全員のブーイングを引き受けることになった。
ここでも俺が悪者〜? 何でだーっ!
    
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