スーツケースとパブ NO.10


〜3日目〜

「・・・照・・・延照・・・。」
「う・・・ん・・・?」
僕は誰かに呼ばれた様な気がして重い瞼を開けた。
「やっと起きたか。」
起きて最初に目に映ったのが亮の顔で、途端にパッと目が覚める。
「あ・・・おはよ・・・。」
「ほら、家出るまであと1時間しかないぞ。 お前昨日酔っぱらって何にも支度してないだろ?」
「・・・今何時?」
「もうすぐ7時。 8時には出るからな。」
ああ、そう言えば昨日はいつ寝ちゃったんだろう? 確かタクシーに乗っていたのは覚えているんだけど・・・。
そしてふと最後に聞いた言葉を思い出した。

「俺ってサイテーだよな・・・。」

一体どういう意味だったんだろう・・・? あれは独り言だったに違いない、僕が眠ったと思ってたから。
何か悩み事があるなら言って欲しい。 亮のこと、僕が一番知っていたいって思うのは自分勝手なのかな・・・。 やっぱり僕じゃ何の役にも立たない?
「早く顔、洗って来いよ。」
亮が僕の背中を押して急かす。 笑顔で目尻に少し皺が出てきて、いつもの亮だ。 だから昨日の事は訊いちゃいけないんだよね、きっと。
亮は既に着替えていて、まだ起き抜けで目を擦っている僕に比べて爽やかに笑っている。 一体何時に起きたんだろう?
歯磨き粉をチューブから出して歯ブラシに付けると、夕べは歯も磨かないで寝てしまった事を思い出す。 うわ、亮が寝るとき、僕の口、酒臭かったよね・・・。
それにしても馬鹿な事をしちゃった。 弱いくせにビール一気飲みするなんて、亮もきっと呆れたよな。 考えると自己嫌悪に陥ってくる。
はぁっ、と溜息をついて洗面所から出ると、丁度左のドアからニックが出てきて鉢合わせしてしまった。
「Oh, Good morning, Nobu.」
声を掛けられたけれど、昨日のキスが生々しく脳裏に浮かんできて硬直してしまった。 悪気があった訳じゃないのは解ってるけど、ニックにしてみればキスなんて挨拶変わりって事も解ってるけど・・・僕にとっては一大事だったんだ。
「Nick!」
振り返ると亮がそこに立っていて、それを見たニックは肩をすぼめて部屋に逆戻りした。
「ったくしょーがねーな。 でもさ、延照、あいつもそれなりに反省してたし、良い奴だから許してやってくれないか?」
「解ってる・・・心では解ってるんだけど・・・どうしても身体がいうこときいてくれないんだ。」
「・・・・・・。」
亮は何も言わずにぎゅっと抱きしめた。 
「え? え?」
いつもより腕の力が強い。 僕はそっと亮の背中に腕をまわしてみる。
そんな事したのは初めてで亮も驚いてたみたいだけど、そうしたかったんだ。
身体がぴったりと密着して、暖かい亮の胸を離したくないと思った。
「よし、これで今日は平気だな。」
「?」
「ニックのキスなんかより俺の腕を思い浮かべてろ。」
そう言って身体を離すと、「支度してこいよ。」と階段を降りていった。
僕は部屋に戻ると暫く動けなかった。 唇が亮の肩に当たって、血液が集中して震えていた。  顔が火照っているのを見られなかっただろうか?
「用意しなくちゃ・・・。」
リュックに必要だと思うものを入れていくと結構ぱんぱんになった。
それを見て亮が
「一体何を入れたらそんなになるんだ?」
と笑った。 亮の鞄を見ると小さめのショルダーバッグ1つ。
「亮こそどうしてそんだけで間に合うんだよ?」
「だって財布と替えのパンツしか持ってかねーもん。」
「タオルは? ティッシュは? 洗顔フォームは?」
「延照が持っていくだろ?」
当たり前の様に言ってくる。 どうせ僕は心配性だよ、バンドエイドとか正露丸だって持ってるよ。
昔からそうだ。 修学旅行さえ亮は今日と同じような荷物しか持っていかなくってみんなが驚いていた。
「別に秘境に行く訳じゃないし、いざとなったら現地調達。」
が亮のポリシーらしい。 僕には真似出来ない。 そんなおおらかなところが女の子達に好かれていたんだよね。
それから亮が入れてくれた紅茶を一杯飲んで家を出た。
                                                     
外に出ると、前が見えないくらいに真っ白で驚いた。
そういえば「霧の街ロンドン」ていうもんな。
朝もやになっている街はとても幻想的で美しい。 隣にいる亮だけがはっきり見えるから、まるでそこには2人しかいないみたいだ。 それが本当だったらどんなに嬉しい事だろう。 そしたら亮は僕のこと、少しは考えてくれるのかな?
朝は昼間と違ってかなり寒い。 霧にまじって息も白く口から吐き出されて、少しかじかんできた手のひらに吹きかけた。
「寒いか?」
亮が訊いてきた。
「うん・・・でも大丈夫。」
「昼前には暖かくなるからそれまでの辛抱だからな。」
「ん・・・。」
寒がりな僕を気遣ってくれる亮の言葉を噛みしめる。 
冬は苦手だ。 直ぐに鼻の頭が真っ赤になるし、ハンドクリームは手放せないからいつも鞄の中に入っている。
こういうとき、恋人同士だったら腕とか肩とか組んで暖め合うんだろうなぁ。
手袋持ってくれば良かったとちょっと後悔。
「もっとこっちに寄れよ。 そしたら少しは風よけになるぞ。」
亮が僕を引き寄せると、肩がぶつかった。 こんなことが僕を熱くさせる。
通りに出ると、まるで雪が降ってる時みたいに静かだった。 霧も音を吸収するんだろうか。 そこにバスが通るとまるで映画のワンシーンの様。
これが僕の描いていたロンドンの風景だ。 
昼間の街は騒々しくて、みんな平気でゴミをそこら辺に捨ててるし、正直「これがイギリスなのか?」って思ったから。
日本の方がよっぽど綺麗好きなんだと感じた。 でもそれって旅行者のエゴかもしれない。 それぞれに生活習慣があるんだし。
電車に乗り込むと、亮が僕の頬に両手を当ててきた。
「うわ、すげー冷てー。」
みるみる冷たい顔に血が通ってくる。 
「亮だって冷たいじゃんか。」
僕も両手を亮の頬に当てると、
「ホントだ。」
って亮が笑った。 前に座っていた黒人のおばさんが変な顔で僕らを見ている。
それに気付いて僕は慌ててその手を離した。
「何だよ?」
「だって・・・。」
よく考えたらこの構図はかなり恥ずかしい。 おばさんは僕らの事を誤解したかもしれない。
「延照・・・。」
亮の顔が近づいてきてぎょっとした。 
え・・・? 何? 
あと数センチのところでいきなり僕の頬をうにーっと引っ張った。
「痛いっ。 何すんだよ?」
「ぷっ。 お前のその顔、キューピーみてー。」
「なんだよ、それっ!」
可笑しそうに笑う亮を睨んだ。 心臓は今にも爆発しそうに痛いのに・・・。
もしかしてそのままキスされるんじゃないかと思ってしまった。 そんなわけないのに願望が浮き出てくる。
「わりー、だって延照があんまりにも周りばっか気にするからさ。」
顔がかぁっとなった。 まるで見透かしているかの様な言い方。 そんなことあるわけないじゃないか・・・。 僕をからかってるだけなのに。
呑気そうな亮を見てると、悔しくなる。
何をされても結局は惚れた弱みで許してしまうんだ。

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