スーツケースとパブ NO.9

大英博物館を出た僕らはそこから歩いてピカデリーサーカスという、日本だと渋谷みたいな場所に来た。
最初、「サーカス」なんて名前が付いているからサーカス発祥の地なのかと思って亮に訊いたら、サーカスとは広場という意味で空中ブランコとかのサーカスとは違うと言われた。
僕はまたもや無知を証明してしまったらしい。
ここは若い人がいっぱいいて、その中心に「エロスの像」というのがあって、そこは待ち合わせのメッカとなっている。 ハチ公とかそんな感じだろうか。
「エロスの像」といっても天使が矢を持っていて、何がエロスなのかよく解らなかった。
その斜め前には眩しいくらいにSANYOとかTDKの電光が光っている建物があって、何だかロンドンには不似合いな気がした。
「延照、、中華とか喰う? ああ、でもロンドンまで来て中華もねーか。」
「いいよ、中華で。」
実をいうと、僕はお米を1日に1回は食べたい人間なので嬉しかった。
「こっから歩いて直ぐに中華街があるんだ。」
「へえ、ロンドンにも中華街があるんだ。」
「まあ、横浜とかより全然規模は狭いけどな。」

5分くらい歩くと、中華街らしい門構えが見えてきて、漢字が書いてあるのを見てホッとする。 英語ばっかり見てると頭にアルファベットがぐるぐる廻って訳解らなくなってきていた為かもしれない。
中国語は知らないけれど漢字はとりあえず解るから。
お店に入ると混んでいて少しばかり白人が多いのを除けば日本の中華街とあまり変わらない。 店員も全員中国人だ。
特有の雑然とした雰囲気も同じ。
昔、亮と何回か横浜中華街に行った事を思い出していた。
「前にさー、延照と中華街行ったときさー。」
あ、亮も同じ事考えていたんだ。 ちょっと嬉しいかも。
「うん、何?」
「豚まんとか桃まん食い過ぎちゃって結局レストラン入れなかった事あったよなー。」
「あははー、そうだね。 僕がお腹いっぱいになっちゃって。 あの時亮は仕方ないからテイクアウトでチャーハン買って山下公園のベンチで食べたんだよね。」
「そーだ。 あんときは周りがカップルばっかでまいったよな。」
「・・・だね。」
あの時、僕は心臓がばくばくいっていた。 海を見ながらベンチに座って、周りはカップルだらけで・・・まるで僕もデートしてるみたいで・・・亮はそんな僕に気付かずに美味しそうにチャーハンを食べていたっけ・・・。 
「やっぱり最初はショウロンポウからだよな。 あとはー。」
そう言って何品か注文して一息ついた。
落ち着くと歩き続けた足がじんじんとしてくる。 こんなに歩いたのは久し振りで熱を持ち始める。
「色々連れ回しちゃってすげー疲れたろ? 悪かったな。」
亮が謝ってきて僕は焦った。 どうしてそこで亮が謝るんだよ。
「そんな事ない。 僕の方こそ迷惑掛けちゃったみたいで悪いと思ってるのに。」
「迷惑? 何言ってるんだよ。 俺が延照と一緒にいたかったから呼んだんだぞ。」
「亮・・・。」
そんな目で見ないで欲しい。 その瞳で見つめられると誤解していまいそうだ。 亮と付き合っていた女の子達もこの瞳に堕ちたのだろうか、僕の様に・・・。 本当、罪な男だよ、亮は。
スープが何だか薬臭かったのを除けば出てきた食事はまあまあ美味しかった。 でもやっぱり量が多くて僕が残した分を亮がぺろりと平らげていたのには笑ってしまった。よくそれで太らないなぁ、とか感心する。
きっと筋肉が適当に付いているからだ。 羨ましい体格してるもんなぁ。 僕だって一応、家で筋トレしてるのに、あんまり付いてくれない。 ちぇ。
ウーロン茶を飲んでフーッと息をつく。
「喰った喰った。」
「お腹いっぱい。」
「相変わらず延照は小食だなぁ。」
「亮が食べ過ぎなんだよ。」
「そうかぁ? 普通だと思うけどなー。」
「よく言うよ、あんだけ食べておいて。」
「まだ若いからいいんだよ。 それより、これからどうする?」
「これからって・・・?」
「パブ行くか? ロンドンに来てパブに行かないなんてディズニーランドに行ってスペースマウンテンに乗らない様なモンだ。」
その例えが的を射ているのかは些か疑問だけれど、何となく言いたいことは理解出来るような出来ないような・・・。
「ま、明日朝早いけど、一杯飲んで出るなら大丈夫だろ。」
そうだった。 明日は一泊で亮と小旅行なんだ。
「じゃあ、一杯だけなら・・・。」
「よしよし。」
そう言って伝票を抜き取って席を立とうとする亮に僕は
「ここは僕が払う。」
と言ったけれど
「やっぱここにいる間の金は俺が全部払う。」
と言って却下された。 そんなぁ、僕にも払わせてくれよ。 僕は女でもなければ亮の彼女でもないのに、おかしいよ、そんなの。
「飛行機代幾らかかった?」
「え・・・15万くらい・・・。」
「だろ? だったらそれ以上金使うな。」
って言われて反論の余地を僕に与えてくれない。
外に出て歩いていると、アジア人が多いのに驚かされる。 僕には中国人も韓国人も近づいて話し声を聞くまで日本人と区別がつかない。
「住んでる人間もいるし、俺みたいに留学生も結構多いからな。」
「そうなんだぁ。」
僕は留学って聞くと直ぐにアメリカが浮かぶから、そんなにイギリスに留学する人がいるなんて知らなかった。
                                                                 
「ここでいいか。」
と言って亮が一件のパブに入っていった。 外に何人かたむろしてて、臆病な僕は内心びくびくしていたのは内緒。
中に入ると外とは全く別の場所に来たみたいに落ち着いた雰囲気で、慣れてない僕は緊張してくる。 高級レストランに行った時に緊張する感覚と似ている。
店内は調度品なんじゃないかと思われるテーブルや椅子があって、古き良きイギリスって感じだ。 なんて古き良きイギリスを知らないけど。 日本人がイメージするイギリスって感覚かな。
中央のカウンターの上に年代を感じさせるサーバーみたいなのがいくつもあってそこからビールを注ぐらしい。
喧噪から逃れてここは大人の場所だって言われている気がして僕は場違いな気分にちょっとなった。
空いている席に座ると「待ってな。」と言って、亮がカウンターで注文をしている。 パブはセルフが基本なんだそうだ。 だからチップもいらないんだって。
「延照はあんま強くないからこれ。」
と言って差し出されたのはシャンディというビールをレモネードで割った飲み物だった。
亮はギネスという黒ビールを注文していた。 何か格好いいなぁ。
イギリスではビールと言わずにラガーとエールと言うらしい。 ラガーっていうのが日本でも飲むビールのことでエールがここでは一般的なんだそう。 違いを亮に説明してもらったけど、ポップがどうのこうのとかで僕にはよく理解が出来なかった。
「じゃ、今日はお疲れさん。」
「お疲れ様。」
カシャンとジョッキを合わせて乾杯をする。
飲むとレモネードが程よく酸っぱくて疲れている身体には丁度いいかもしれない。
「美味しい。」
「だろ? やっぱパブで飲むビールはひと味違うんだよな。」
僕は「そっちも頂戴。」と亮が飲んでいる黒ビールを飲ませてもらったけど、凄く苦くて一口で断念した。
「はは、延照にはまだこれは早いよ。」
くっそー、いつか絶対にそれが美味しいと思える様な大人になってやる。
薄暗い店内でビールを傾けている亮はひどく大人びて見える。 本当に僕と同い年なのか?と思えてくる程に。 
「タバコ吸っていいか?」
「あ、うん。」
僕が日本から持ってきたタバコをポケットから取り出して、ジッポで火を付けてゆっくりと煙を吐き出す。 
「こっちじゃタバコすげー高くってさー。 悪いけど免税店で買って来てくれ。」
とメールをよこしたのはもう2ヶ月前の話。 
僕は亮がタバコを吸っている姿が好きだ。 唇から吐き出す煙がゆらゆらと天井までいくさまは、男の色気が漂っていてくらくらする。 長い指がフィルターを挟んで灰皿に持っていく。 僕はそれを眺めていると自然に顔が緩んできてしまう。 これじゃ変態だ。
「あのさ・・・延照・・・」
「な・・・何・・・?」
声を掛けられて邪な気持ちがドクンと鳴るのを覚えた。
「俺がお前をここに呼んだのはさ・・・俺・・・」
亮が何か言いかけた時、誰かが亮の肩をポンと叩いて話が中断された。
「What?」
話しかけてきたのは若い、見た目がワイルドな感じの男だった。 知り合いなのかな。 一言二言話していた亮は、「No, No.」と笑いながら相手にタバコを差し出すと、それを受け取って男は自分の席に戻っていった。
「知ってる人・・・?」
「違う違う。 あいつ、ゲイだって。 んで俺たちもそうなのかと思って話し掛けてきたみたい。 いや、まいったな、俺らゲイカップルに間違われちまった。」
ははは、と笑っている亮を尻目に僕は笑えなかった。 ・・・半分当たってる。
きっと今の男は僕を見てそう思ったに違いない。 あんな風に亮に見とれていたら誰だってそう思うかもしれない。 だめだ。 もっと自分を押さえなくては、いつか亮にも解ってしまう・・・。
さっきあんなに泣いて落ち着かせたつもりだったのにまたモヤモヤがぶり返してきて僕は注がれていたビールを一気に飲み干した。
「おいっ! 延照、なにしてんだよ!?」
途端に視界が歪む。 亮の顔もぼやけてきた。 ・・・僕はその場に倒れてしまった・・・。


ガタガタという振動でゆるく目が覚める。 ここは何処なんだろう・・・?
「・・・延照・・・やっと起きたのか?」
「ここは・・・?」
「タクシーの中。 お前パブでぶっ倒れたの覚えてるか?」
薄ぼんやりと自分の醜態を思い出す。 ああ、何をやってるんだか・・・情けなさに涙が出そう。
「ごめん・・・馬鹿なことやっちゃった・・・。」
「そんなことはどうでもいいよ、それより大丈夫か?」
「うん・・・もう少し寝れば・・・」
「まだ家まで暫く掛かるから寝てろ。」
そう言って亮は僕の肩を抱いてくれた。 自然と頭が亮の胸にぶつかる。
何て暖かいのだろう・・・亮はこんなに僕に優しい。 ・・・好きになってごめん・・・やっぱり友達とは思えないよ、この想いをどう処理したらいいか、もうわかんないよ・・・。
僕が夢うつつになっていると、亮がポツリと呟いた。
「俺ってサイテーだよな・・・。」
・・・何が最低なんだ? 何を考えてるの? 最低なのは僕の方だよ・・・。 そんなに思い詰めてどうして何も言ってくれないんだよ。 
そんなに僕じゃ役不足なのだろうか・・・。
少しだけ亮の胸の中で気付かれない様に泣いた。 そしてそのまま僕は不覚にも眠ってしまったらしい・・・。

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