スーツケースとパブ NO.17

タクシーを走らせていると、やがて街並みは消えて広い丘が周りを取り囲んでいた。
緑が空に映えて草の息吹を感じる。 地球って丸いんだなぁ、って遠くを見てると改めて認識した。
それくらい道以外は牧草で埋め尽くされていて、黒と白のぶちと、もこもこの毛に覆われた動物が転々と好きな様にちらばっているのが見えた。
「ねえ、ねえ、亮! 牛と羊がいるよ。」
窓の方を見ながら声を掛けたけど、返事がないので振り向いた。
亮は窓を少し開けて、気持ち良さそうに眠っている。 ・・・疲れてるのかな・・・?
僕は無意識に唇に目がいってしまい、悪いと思いつつ慌てて身体を揺さぶった。
「亮、起きてってば。」
「う・・・ん・・・」
薄く目を開けた亮は眠そうに手の甲で瞼を擦っている。
「・・・何だって・・・?」
「だからー、牛と羊がいるよって・・・。」
「ああ、何処?」
「ほら、あそこにいっぱい。」
窓越しに指をさすと亮が「どれどれ?」と言って僕の横へ顔を寄せてくる。
髪の毛が掛かりそうな距離にギクッとしてしまった。
昨日はもっと近づいていたのに、とても哀しかった。 今も少しつらいけれど、その日向(ひなた)の匂いがする距離にキュンとなる。 
「本当だ、あいつら悩みがなさそうでいいよなぁ。」
たぶん、牛には牛の、羊には羊なりの悩みがあるに違いないと思うけれど、確かに何にも考えてなさそうに見えるかも。
「いいよね、自由って感じがして。」
「そうだなぁ、俺も自由になりてーなー。」
ちょっと驚いた。 僕から見たら亮だってとても自由な人間に見えるから。
「そんなことねーよ。 ・・・一番言いたいことだって言えない人間だしな。」
真っ直ぐに僕を見据える視線が痛い。 それって一昨日言っていた「俺ってサイテー」の言葉と関係があるのだろうか?
「・・・言いたいことって・・・何・・・?」
思い切って訊いてみたけれど、亮は微笑むばかりで、はぐらかされてしまった。
「・・・ここではちょっと言えない・・・。」
「え・・・?」
・・・答えてくれた。 ここでは言えないっていうことは別の場所でなら言えるっていうこと?
「もう少し、時間をくれないか? そしたらちゃんと言うから・・・。」
「う・・・うん・・・。」
指を額に当てて悩んでいるように見えたけれど、僕は凄く嬉しかった。 人の悩みを聞くことをそんなに喜んでいいのか?
だけど今まで「何で僕に言ってくれないんだろう?」って想いが消えなくて辛かったから・・・。 
酷い人間かもしれない、でも気持ちに嘘は付けない。
足下が少しだけ軽くなった感じだけど反対に亮は俯いたまま話そうとはしない。
もしかして僕に話すって言ったこと、後悔してるのかな・・・?
どんなことだろう。 僕に関係のある話なんだろうか? それとも恋愛の話とか? そうだったらどうしよう・・・。
でも訊いたのは僕だ。 もしそうでもちゃんと聞こう。
そしたら・・・亮が悩みを打ち明けてくれた時は・・・その時は僕も打ち明けよう・・・。
強くなりたい。
拒まれて当然だけど、それでもちゃんと言わなければ、もう友達ですらいられないし、昨日は未遂で終わったから良かったもののいつまた行動に起こすか解らない。
そこまで僕は堕ちたくない・・・。
だから・・・この旅が終わったらもう2度と逢えなくなるかもしれない・・・。
それが僕の罪、僕に与えられる罰。
亮、ごめんね、僕はずっとずっと裏切っていたんだよ。
優しい瞳で見てもらう資格なんかないんだ。
本当だったら哀しくて泣きたくなるはずなのに、広大な自然の中を走ってると穏やかな気持ちになっていた。
風が髪を揺らすと、まるで「それでいいんだよ。」って言われてるような気がしてくる。 何て勝手な思い込みなんだろう。
それでも僕はそう思ってしまう。 だってこんなに秋の空気は爽やかに包んでくれているから。
「もうすぐだって。」
運転手が亮に話しかけていた言葉を僕に和訳した。
「解った。 ありがとう。」
そうだ、折角旅行に来たんだもん、楽しまなくちゃダメだよね・・・。
「どんなとこだろう、綺麗なのかな?」
「着いてからのお楽しみだなー。」
「そうだね・・・。」


                                                             
最初に入った村は、駐車場もちゃんと観光用に作られていた。
タクシーを降りると風がそよいで空気が美味しい。 日本の田舎とは違うけれど、都会よりも澄んでいるのは同じ。
「ここにいられるのは1時間くらいだってさ。」
「そっか、じゃ、早く行こう。」
もう結構な数の車が止まっていて、人もかなりいることが予想出来た。
歩いていると、煉瓦で出来た家しかなくて、それも古いのに綺麗な・・・どう表現していいか解らないけれど、きっと誰でもが懐かしいって感じるような美しい村だった。
観光客と住民の人がのんびりと歩いている村の中心には石で作られたような休憩所みたいな場所があって、そこで沢山の人達がおしゃべりをしている。
賑やかなのに優しい空気が流れていた。
「結構人が沢山いるんだね。」
「ああ、さっき運ちゃんが言ってたけど、この村がコッツウォルズで1番開けてるんだってさ。」
「でもいいよね、のどかな感じがして。」
「そうだな。 もう少し人のいない場所に行くか?」
「え・・・?」
人のいない場所って・・・どういうこと・・・?
「だってさ、折角来たのに人混みばっか見ててもつまんないだろ? もっと歴史を感じようぜ。」
ああ、何だ、そういうことか・・・。 もう、僕は何を考えてるんだよ。
はぁ・・・、こんな調子で今日1日僕は平静でいられるんだろうか・・・?
何かっていうと夕べのことを想い出してしまう。
弾力がありそうな、少しだけ荒れている亮の唇・・・。 そういえば冬になると僕のリップクリームを貸してあげたっけ。
「別にこんなの荒れてたって構わない。」って言った亮に僕が無理矢理差し出したんだ。
・・・もうあの頃には戻れない・・・亮の笑顔は変わらないっていうのに・・・。
変わったのは他の誰でもない、この僕だ。 僕が壊そうとした友情は目の前でポロポロと剥がれ落ちていく。
その先には何がある・・・? 
古びた家の庭先に咲いている花をぼおっと眺めていると、何故だか無性に郷愁の念に駆られた。
日本は今、何時だろう? 時差が9時間もあるから・・・あれ? でも今はまだサマータイムだっけ? 何かよく解んなくなっちゃった・・・。
考えてたら、何を考えてたのかも忘れてる。
「何をニヤニヤしてるんだよ?」
「してないよー。」
真面目に考えてたのに僕はどっかネジが緩んでるのかもしれない。
自分が滑稽に思えてきて笑ってたらしい。
「してた。」
「してない。」
押し問答になって、顔を見合わせて思わず2人して吹き出した。
「ったく、延照には敵わねーな。」
「何がだよー?」
「俺が。」
子供みたいな嘘を付くから? どうせ僕はまだ何にも知らない子供だよ、亮みたいにいつでも笑っていられる大人とは違うんだ。
それでも・・・だからこそ亮が言ってくるまでは僕も何も言わずに親友を演じていようと思う。
その時が来ても、嘘の笑顔でいられるようにしよう・・・。 それが僕に出来る精一杯だから・・・。
・・・だから、今、その背中に言わせて・・・・・・僕は亮が好き・・・・・・とても好き、死ぬほど好き・・・ずっと好き・・・好き・・・好き・・・好き・・・。
「〜・・・延照っ!」                                 
いきなり亮が大声で僕の名前を呼んだからびっくりした。
「な・・・何?」
まさか気付かないうちに心の声を出していた何てことないよね・・・?
あまりに亮の声がせっぱ詰まっているように聞こえて僕は心配になった。
でもその後、亮は口ごもって
「いや・・・あー・・・あ、俺の後ろにいないで横に来いよ。 な、話も出来ないしさ。」
って言ってきたからホッと胸を撫で下ろした。
「うん、そうだね・・・。」
そっと横に並ぶと肩がぶつかってそこが熱くなる。
並んで歩いてるのに、口が開かなくなってしまった。 亮から何でもいいから言ってよ。 
何だか亮もいつもと雰囲気が違って見えるのは気のせいなのかな・・・?
「・・・もう、人がいないね・・・。」
ポツリと呟くと、
「・・・そうだな・・・。」
と亮もポツリと呟いた。 何か言わないと窒息しそうになってしまう。
僕らの周りの空気だけ淀んでる感じだ。 こんなこと初めてで僕は戸惑ってしまい、どう対処していいかも解らない。
その時、亮が口を開いた。
「こんなの・・・俺らしくないよな。」
「え?」
「ごめんな、延照。 ちゃんと観光して楽しもう。 それとさ、さっきの話だけど、家に帰ったらちゃんとお前に言うから・・・だからそれまで待っててくれ。」
「亮・・・?」 
どうして僕が訊きたかったことが解るんだろう? 亮は淀んだ空気を瞬時に壊してくれた。
凄いね、僕にはとっても出来ないよ・・・。 
「うん、解った。 そうだね、楽しまなきゃね。」
「だよな。」
「ありがと・・・。」
「ん・・・。」
そこには太陽みたいなあったかい笑顔があって安心した。 やっぱり僕は亮のその笑顔がイチバン好きだよ。
 
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